@article{oai:nvlu.repo.nii.ac.jp:00000072, author = {中嶌, 洋}, journal = {日本獣医生命科学大学研究報告, Bulletin of Nippon Veterinary and Life Science University}, month = {Dec}, note = {赤星典太は,第五高等学校(現,熊本大学)及びラフカディオ・ハーン(小泉八雲)による教育的影響や,「仏慈」「博愛」などの宗教的影響を受け,さらには英国,米国における共同募金の先例に触発されたのち,官僚や地方行政の責任者など数々の職責を果たし,生涯最後の仕事として長崎県知事を拝命する。同知事在任中の1921(大正10)年10 月~ 11 月に彼の主唱により長崎市で実施されたものが,「社会事業費共同募金運動」(同市社会事業協会主催)であり,わが国最初の共同募金運動と位置づけられる。約1 ヶ月間に,3 万7,319円3 銭の募金額を集め,9 施設に分配されるなど一定の成果がみられたが,ここには,赤星が英国のラスキン・モスリー博士から学んだ「社会連帯責任」やこの取り組みを年中行事にしようとする彼の高い意識が見られた。反面,同運動はわずか1 回で実践に終止符を打った。それ以降,1947(昭和22)年11 月25 日から実施された「第1 回国民たすけあい共同募金運動」の再出発を待たねばならなかった。本稿では,大正期に一瞬の輝きを見せた長崎市における社会事業費共同募金運動の背後にあった思想・理念を掘り起し,そこから看取できる教訓や今日的意義を中心人物であった赤星の思想展開に着目しながら考察するものである。歴史とは新興と断絶のくり返しにより形成される。紆余曲折を経ながらも,共同募金運動は今なお生息し続けている。}, pages = {50--62}, title = {長崎県社会事業協会による「社会事業費共同募金運動」の背景-長崎県知事,赤星典太の思想へのアプローチを中心に-}, volume = {64}, year = {2015} }